あなたではないあなたへの餞の言葉

VTuberの中の人が絡む話をします、実際の名前とかは全く出さないですが)

この文は下の文章を書いた後に書いているのですが、なんかとても厄介な文章になってしまったな。

 

VTuberの中の人、いわゆる魂と呼ばれる存在があります。中の人や中の人の別名義(前世)に対するスタンスはファンの中でも全くもって人それぞれであり、その存在に少しでも触れることに激怒する人もいれば、中の人も含めて応援する人、むしろ中の人の別名義での活動の方を本腰を入れて応援する人もいます。あるいは敵意をもって世俗的なゴシップのネタにする人もいます。こうした攻撃に使われることもあって、中の人に関する話は無用な言い争いの元になるだけですので基本的には口にしない、というのがファン全体の雰囲気でしょうか。

 

かくいう私はというと公では口にしませんが、こうした中の人の存在というのは割と好きです。別に中の人の容姿ですとか個人的なプロフィールに興味があるわけではなく、その人が辿ってきた軌跡に触れることが好きです。企業所属のVTuberですと、当然企業としては利益を生み出すことのできる配信者を採用したいわけですから、全くの新人で初めての活動がVTuberという人はほんの一握りで、大抵の人に大なり小なりこの電子空間で活動した経歴があるというのは不思議ではありません。

 

するとそこには私の知らないあなたがいて、私が知らなかった名前で呼ぶコメントがあって、私の知らなかった輝きと苦悩があって、そしてそれが数年前の日付で眠っている。

 

今と変わらずあなたを応援する人の姿があって、それに応えるあなたではないあなたがいる。そんな事実が何故か嬉しいんです。

 

配信者の側も色んなスタンスの方がいて、器用に両方の活動を並行して続ける方もいれば、新しい夢ができたと活動を終える方、主軸を移し低い頻度ながら活動を続ける方、人によって様々です。どの場合もその人なりのファンへの思いがあって、その人なりのスタンスをとっているのでしょう。

 

VTuberにとって魂という存在はシンプルであって複雑です。前世…すなわち別名義を指して魂とする用法もありますが、その名義もまた本人の一面を切り取って投影した存在でしかありません。いや、それどころか私たちがリアルと捉える生身の人間ですらペルソナという仮面を被ったホログラムなのでしょう。

投影された別の姿を見ることは、まるで三面図を見るかのように、その中にある実体を掴もうとする行為と言えるでしょうか。

もちろんそれが常に受け入れられる行いであるとは私は思いません。個人には尊重されるべきプライバシーがあり、法とモラルの下に守られるべきで、本人の意思に応じて隠されるべきです。

 

私が慕い応援しているとある方の前世…といわれている人は、ぽつりぽつりと活動を続けていましたがつい先日活動休止を宣言されました。そこにどんな心境の変化やあるいは事情があったのか、私たちにうかがうことは出来ませんし、お互いにその方がよいのでしょう。そもそも本当にそうした存在であるのかは恐らく永遠に明かされることはないでしょう。

 

あなたを知らなかった、あなたを知っている私が、私の知らないあなたを卒業するあなたに言葉を贈る資格はあるのでしょうか。

 

もしかするとあなたを殺したのかもしれない私が、

あなたを知ることで 私の知らなかったあなたを殺したのかもしれない 私が、

わがままかもしれませんがそれでも伝えたいのです。

 

本当にお疲れさまでした。

ずっと応援しています。