この世界の片隅から

公園の片隅で、息を切らしながら、水滴を垂らしながら、この文章を書いている。

 

この世界の片隅に を観た。

何も語れなくなってしまった。

黙することが答えなのではないかと、そう思うくらいに私の頭は白波を立てて渦巻くばかりで、何の言葉も出てこなかった。

 

しばらくベットに倒れ込んで、天井をみつめ、尚も流れるNHK総合をぼーっと聞いていたが、やがて喧しく感じてそっと消した。

 

渦巻き、激しく覚醒しようとする頭と、カタルシスとも言うべきか虚脱に陥る心との狭間で綯い交ぜになり、私は某VTuberのダジャレツイートを貪るように読んだ。見事な防衛機制だった。

 

そのうち起き上がれるようになって、どうしようもない感情を発散するために走った。走りに走り、すぐバテた。体育の成績は万年3だったのだから当然である。

 

心臓は激しく脈打ち、吹き出す汗は頭の中を這い回る熱を逃がしてくれている気がした。

西の空は茜に燃えていた。あの日の呉もこんな景色だったのだろうか。たった75年前の。

 

ベンチに座り込み、肩で息をしながら、今ならやっとこの感情を文字にして吐き出せるかもしれないと思い、こうして文字を書いている。文章にもならない文字の羅列だがそれ以上出来まいとも思う。この感情全てを文字にすることなど、出来てしまったらとしたらそれは、今のこの感情とはもはや全く別の感情ではないか。

 

この映画を観て、賛成だ反対だなどと語るつもりはないし、語りたくもない。一つの作品から人類全ての問題を語り得るなんて到底思えない。ただ、しかし、それでも、幸せでいて欲しいと思う。ただ幸せでいて欲しい。この感情を形にするとしたらそれだけです。

 

私はもうこの作品を観ないのではないかと思う。これはもちろん最大限の賛辞だ。もう二度と観たくない。

それでもいつか、きっと必ず、観るのだろうなと思う。それだけははっきりと分かっている。