時間のみが解決できる問題への焦燥

なにもすることがないのでキーボードに向かっています。

いや、何もすることが無いというのは嘘です。実験のレポートやらTOEICやらとやることはあるのです。なぜそれをしないかというと、時間しか解決してくれない懸念の、なんともいいがたい重圧に押しつぶされそうだからなのです。私の場合は翌年3月に迫る研究室配属がそれなのですが、あるいは、同様なことは合格発表、人間関係、ソーシャルサービスのメンテナンス待ち時間…いろいろなことに言えるでしょうか。

時間に対して人は無力です。いや、人に限らず物質、空間、この世界の全てが、少なくとも今は、一方に向かってとどまることなく怒涛に流れ流れゆく時間の上に揺蕩うことしかできないのではないでしょうか。

眠れない午前3時、ふと気まぐれに時間とは何かと思案したことがあります。どこかで読んだ話ですが、何か物体が移動するのを観測することで、時間の存在を認知することができたのなら、厳密になんの変化も起こらない空間に対して時間を定義することができるのか?のような話があるそうです。思い出して書いただけなのでこの話は全然本題に関係ないです。

ともかく、時間というのは絶え間なく一方向へとむかっていて、というよりは本当は現在のみが存在していて、観測が過去を生み出している…そう表現した方が正しいのかもしれないですが、確定的な未来というのは、少なくとも今現在は存在しないわけです。

足りないものを手に入れたくなるのが人間の性というか、安定的な、予測可能な未来を求める心は現在の自分を押しつぶす力をもっている恐ろしい存在です。現に自分はふわふわとした頭で吹奏楽曲を聴きながら(あまり更新されない)研究室のホームページを眺めるだけの存在になってしまうのです。恐ろしいねぇ(VB