エモいってそんなに悪か?

はじめは”エモい”について本気で色々考えて論評しようと思って文章を書いていたけれど、私に日本語を論評する能力は無いことが分かったので適当に思っていることを書きます。

 

 

”エモ”、感じますよね。この世界は、いや、この世界から生み出される様々な世界はエモみに溢れていますよね。

この感情を他の人に伝えようと思った時に、あなたは「エモい」という言葉を使えますか?

 

私は割とよくエモいを使います。ただし世間のエモいへの風当たりはどうにも決して弱くはないようで、

「自分の言葉で語れよ!!」

とか、

「エモいとかいう凡庸な言葉で表現しても全く伝わらない」

とか知ったような口でエモいを攻撃する人というのも確かに存在するのです。

 

うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!知らね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

いや、知らねぇっていうか知ってはいるんですよ、エモいの範囲が人によって違いすぎて発信者と受信者でズレが生じるからあんまりいい言葉じゃないのは知ってます。

 

ただ、ただ私は感情の咀嚼をしたくないだけなんじゃい!!!!!!!!!!!!!!

 

これです。これが私がエモいを使う理由の大部分です。

エモいっていうのは鳴き声なんですよ。感情の塊に頭をぶん殴られてクラっと来たところで必死に絞り出した声、それが「エモ……」なんですよ。

感情の受容キャパシティをオーバーしてるのに「○話のアレが伏線で~ここの感情の機微が~」みたいに話すのは不自然じゃないですか。別にしばらくたってからこう色々考えて話すのは(私は正直あんまり好きではないけれど)いいんですよ。ただ、私は前の記事でも話した通り、自身を作品となるべく切り離しておきたい難儀な性分なのでなかなかそれが出来ないのです。考察って自分の考えに合わせて世界の方を歪めてる感じが嫌いです。

それに、あんまりネタバレをしたくないという思いもあります。詳しく感想を書くのってどうしてもネタバレしなきゃじゃないですか。それをエモいに留めておくことによって「何かは分からないが感情に訴える何かが起こる」というふわっとしたオススメができるのです。まあエモいシーンがあることはばれてしまうけれどそこまで言ったらなにも言えなくなってしまうので…。(ARuFaさんが言うオモバレというやつですね)

 

世間では”エモい”の曖昧さが嫌われているようですが、私はむしろ”エモい”の曖昧さが好きなのです。捉えどころのないパトスこそがエモーショナルなのです。衝動にまかせてtwitterにエモとつぶやきましょう。

 

 

ところで今期はひなノアがエモいです。