大学生活の終わりによせて(2022.03.25)

書きおいていたのですが公開するのを忘れていたので今さらですが。

 

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名大での6年間は、普通の大学生らしい大学生活はほとんど送っておらず、生来の人見知りによって細々と交友を温め、大規模な飲み会にはほとんど参加せず、そうこうしていたら噂に聞く八事日赤の冬月は潰れ、一回だけ出席した学科の飲み会で行った本山のミライザカはいつの間にか焼き肉屋になっていました。特に研究室生活はコロナに振り回されましたが、学部から振り回されている後輩のことを思うと、後輩には悪いですがタイミング的にはまだ恵まれていた方だったかと思います。そんな時勢の中でも新世界ビルのわんや萬鳥商店、焼肉のHAMAKINが残っているのは名古屋に置いてきた思い出が残っているようでなんだかうれしく思います。研究室からの行き帰りで眺めていたIB館北の工事はいつの間にか終わって綺麗なホールが生えていたり、かと思ったら入学当初に奨学金の手続きで一度だけ入った工学部7号館が取り壊されて大工事が始まり、それを眺めながら北部に履歴書を買いに行ったと思えば、いつの間にか卒業式のためにスーツを着てMeicaの返金にIB館と工事現場の柵の隙間をくぐる日が来たのでした。大学に残せたものといったら立ち上げ運営のお手伝いをしたサークルと、論文一報程度のものでしたが、年々数割の学生が入れ替わるこの大学という場所にあまり多くのものを残すのも野暮というものなのでしょう。数多の夢を擲って、幾ばくかの夢を抱いて東山の地から去ろうと思います。不老と名の付く土地なのですから、また夢を拾いに来るにはちょうど良いかもしれません。いつの日にか。

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春、東山の山裾から

2022.03.25

*1:旧名大ブラックリスト跡地(http://apqdci.s12.xrea.com/)のリスペクトです。この文章好きなんです。