ただ旅をするために旅をしたい

二月後半から三月頭にかけて八重山諸島沖縄本島に旅行に行ってきた。

八重山諸島与那国島は日本の国土の最西端であって、わずか100km海の向こうはもう台湾である。同じく八重山諸島波照間島は一般人の到達できる日本最南端で、日本ではほぼ見ることのできない南十字星が見られる島としても著名である(ただし実際はもっと行きやすい石垣島でも見られるようである)。

また、私にとっては47都道府県で唯一未訪問であった沖縄県を訪問する機会でもあった。

 

沖縄は言わずもがな観光産業の盛んな地域であるので、地元の人ではない、いわゆる観光客を本土よりもはるかに多く見かけた。一口に観光客といっても様々な人種がいるもので、家族旅行から高齢のツアー客、学生、若い女性集団、いかにも旅人然とした旅人…本土ではあまりない密度でこれら旅行客が混然一体となって移動していた。場所によっても客層は異なり、沖縄本島石垣島波照間島与那国島の順で、言ってしまえば濃くなっていく。というのも当然で、この順に難易度が高くなっていくためだ。石垣島はまだ本土から直行便が多数出ているとはいえ、那覇空港に比べると本数は少なくなる。波照間島石垣島からさらにしばしば運休する1日3往復の高速船で2時間。与那国島は飛行機ならば那覇空港から1日1往復、石垣空港から1日3往復。フェリーならば週2便で石垣港から4時間。日本の果ては技術進歩により十分近くなったとはいえまだ遠い。

 

与那国島の宿で旅人に出会った。世界一周の船旅をした人、小笠原に6度行った人、離島巡りを生業としている人…いわゆる旅人らしい旅人である。一通り旅の話をして次の朝別れ、石垣島へとフェリーに4時間揺られて戻り、さらに翌日沖縄本島へと渡った。

空気が違うのだ。那覇は石垣より気温が3度ほど低かったがそれではない。同じ旅行客でもこうも違うものかと思った。もちろんどちらがいいという話ではないが…どちらが好みかというのを心の中で思う分には問題はあるまい。

 

今の時代ならば、お金と時間さえあればだれにでも、日本の端にでも、世界一周にでも、南極にでも行ける。自分の身一つのみしか頼っていくことのできない高山や秘境でもない限り、どこに行ったから凄い、偉いということはない。富でも名声でも承認欲求でもいいねの数でもなく、ただ旅をするために旅をしたい。ただ未だ見ぬどこかへ行くために未だ見ぬどこかへ行きたい。

パソコンが壊れた。

そう、パソコンが壊れたのである。iPad Proを購入した途端に不調になったので「よしよし愛いやつめ、別にお前を捨てたりなんかしないよ(まだレポートがあるので)」と思っていたのだが、一時期だけの不調に留まらず、そのままどんどん悪くなっていってしまったのである。パソコンからの愛が重すぎてつらい。

ということで自分の備忘録も兼ねて経過を記しておく。

 

機種:FUJITSU AH77/R FMVA77RB

 

2018/7ぐらい

関係あるのか不明だが、使用中にCD/DVDトレーが勝手に開く不具合が発生。BIOSの初期化など行うが効果なし。色々調べるも原因不明だったが、そこまで不便でもないので放置。

 

2018/11ぐらい

多分関係ないが、外部ディスプレイに繋ぐHDMIケーブルにちょっと触るだけで映像が切れるようになった。

pc側のプラグを弄ると復活するのでpc側の端子が悪そう?

 

2019/1/18

実験中、目を離したら電源が落ちていた。気づいて電源を入れ直すが、起動途中に落ちる。もう一度起動すると、「Windowsが正常に終了しませんでした」の表示が出るものの、そのまま起動に成功。とりあえず実験のデータだけはUSBに移し、シャットダウンするも、途中で電源が落ちている雰囲気(シャットダウン途中に急に電源が落ち、ピンッという音がなる。HDDのヘッドが急に元の位置に戻る音?)がありおそらく正常にシャットダウン出来ていなさそう。

 

1/19

とりあえずバックアップを取ろうとビックで外付けHDDとUSBを買い、ついでにブランデーと獺祭を買う。ティー・ロワイヤルを嗜みつつ、USBに回復ドライブを作成。無事に成功。そのまま外付けHDDにシステムイメージを作成しようとするも、途中で落ちた。再び試みるものの、やっぱり落ちる。全部バックアップ取るのは無理そうなので、重要なデータだけは移す。これは成功した。

このあたりで内蔵HDDが機嫌を損ねているのでは?と疑い始める。原因が絞れた所で知識がなくさっぱりわからんちんなのでググる。HDDからの不調にはchkdsk /rが良いらしいので、コマンドプロンプトに狙いを決めてベンザブロックする。コマンドが見つかりません?なぜ?と数回エンターを叩いてからchkdscと打っていたことに気付く。こんなところで英弱を発揮するな。再起動しなきゃらしいので再起動するも、やはり途中で落ちる。再起動しないのに何が再起動だというのだ。再び動くか不安になったものの、電源を付けるとちゃんとchkdskが始まった。

…30分ぐらい経ったが終わらない。ここでよく調べるとchkdskに補助魔法/rを付けるとHDDの中身を片っ端から調べて悪い魔導生物がいる場合は駆除するので普通に数時間から悪くて数日かかることもあるらしい。しかもHDDに物理的に破損があるときは長時間駆動のせいで症状が悪化することもあるらしい。ドジっ子魔法少女なのでよく知らないまま魔法を使ってしまった。しかも割と禁断の魔法だった。

一度魔法を発動すると止められないので腰を据えて獺祭を嗜みながら待つ。葡萄のような華やかな香りで美味しい。大吟醸なのに四合瓶で1500円ぐらいは安いですね。と思っていたら電源が落ちた。HDDに問題があるならHDDを読みまくるchkdskで落ちるのも当然な気もするが、割ともう夜も更け、割と酔い気持ちよくなっていて眠かったので判断力が低下しており、もう一回禁断の魔法をかけて電源が落ちないように祈りつつ眠りに落ちた。

 

1/20

起きたら電源は付いていなかった。嫌な予感を感じつつも起動してみたところ、無事に(?)禁断の魔法は成功していた。どうやら黒魔法適性はあったようだ。ログを見ると不良セクタはなさそうなものの、ファイルシステムエラーが8370個あるらしい。何を指すのかは調べてないが、ともかくファイルシステムエラーが一桁になるまでchkdskを重ねがけするとよいらしいので、chkdsk /fを撃つ。補助魔法/fはなんかとりあえず悪いところを探して治すらしい。/rとの違いは調べたがよくわからなかった。が、ともかく/fは数分程度で終わるらしい。たしかに数分で終わり、ファイルシステムエラーは8になった。chkdskはHDDを治療する魔法なので黒魔法だが白魔法でもあったらしい。

しばらく放置してみたが普通に電源が落ちたので、どうやら多分ソフト面の問題ではないらしい。そこでCrystalDiskInfoという魔具をインストールした。こいつはディスクの健康状態を読みだしてくれる白魔法士必携のソフトらしい。起動するとPCを自作している人のツイートで見たことある画面が出てくるので見てみると、どうやら健康らしい。なんなんだもう。見立て違いで、本当はHDDが原因ではないのか?分からない。

この機種特有の不具合かもしれないとググると、メーカー公式HPにトラブル解決フローチャートがあったので試す。はじめに見つけてればよかったね。知ってたのにビープ音にビックリしつつ、BIOS画面に入り、BIOSを初期化するも改善せず。次にPCに元から付いてるトラブル解決ナビを立ち上げる。3年使ってたがそんなのついてたの知らなかった。CPU、メモリは問題ないらしく、ハードディスクの診断中にエラーウィンドウが出て止まった。「例外unknown software exception (0xc0000409)がアプリケーションの0x01fd2030で発生しました。」とのことで、ググったがウイルス説やアンチウイルスソフト説などイマイチ釈然としない。なんかもう自分の力ではどうにもならない気がしてきたのでギブアップ。

 

 

メーカー修理に出すと高そう(HDDの交換で5万円近く取られるらしい)なのでどうしたもんかなぁ…といった気持ち。大きい出費を控えてるのであんまり今お金を使いたくないんですよねー。いっそのこと自力でSSDに換装しようかなとか思ったり。悪いのがHDDならそれでなんとか……なるといいけど初心者なのでなんとも。メーカーじゃなくて修理業者に出せばもうちょっと安くなるのかな?修理で5万円取られるぐらいならいっそ新調したいですし…。

研究室によっては配属されるとMacが支給されるところもあるとかなんとかでそれなら急いで動く必要もあんまり無いし…春休みはパソコンなくてもなんとかなるし………、ということで本気で迷ってます。パソコンに詳しいニキ助けて。

好きな曲を書きたい

人に何かをオススメするのって苦手なんです。単に文章力が無いというのもそうですが、オススメしたものが人にハマらないと自分を否定された感じがして普通に嫌じゃないですか?(一応書いておきますけど、もし私がリアルで何か勧めてハマらなかったとしても別にそのまま伝えて大丈夫です。むしろその方がお互い気を遣ったりしなくて良いので) それに人にオススメするってねえ………?あれやん………恥ずいやん……?

 

でも私が好きなものを伝えたい…もっと良さが広まってほしい…こんなブログをわざわざ見に来る人はマナーの良い人だろうからむやみやたらに広まったりしなさそうだから………ということで、好きな曲を紹介したいと思います。文章が下手だし長文を書くと後半ダレるので一、二行だけここすきポイントを添えたいと思います。

 なんとなくジャンルなんかもふわっと書きますが詳しくないので間違ってても多めに見てくださいなんでも

 

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何にでも意味を見出さなくてもいいんだよ

不条理で非規則性な美しさというものがあります。

 

芸術に関しては疎いので突っ込んだ話はしませんが、例えば絵画ではJackson Pollockによるアクションペインティングと呼ばれる、キャンバスに絵の具を滴らせて(というよりはぶち撒いたような)描く手法があります。ランダム的で、意図の介在しないような表現が、かえってありのままの姿というものを表現しているようにも思えます。

ところが、これに完全に意図が存在しないかというと恐らくそうではなく、例えば色を選ぶのはおそらく描き手であるし、絵の具を滴らせる刷毛の動きは描き手によって操作されるものです。それがダメかというと、別にそういうわけではなく、恐らく私を含めた大多数の人にとっては、完全な無秩序に美を見出すことは難しいものなのでしょう。芸術とはそもそも人が作り上げるものであるから、介在する人間の意識とそこから独立したランダム性の双方が相互に作用することで、”無秩序的な芸術”という一見矛盾しているようなコンセプトが存在しうるのではないでしょうか。

もう少し分かりやすい例を出すと、印象派の絵画があります。写実的な細かいタッチとは対照的に、粗く、明確な線の無い、まさに「印象」を写し取ったような絵は、かえって光の動きやその場の空気を捉えていると評されます。これもまた、秩序的な物体の形を分解し、光の揺らめきを捉えるためにランダム的な筆致が用いられます。こちらはより人間の意識に寄った作品ですが、そこにランダム性が付与されることで新たな広がりが加わったのです。

 

さて、ここまでは前置きで、ここからが本当に話したかったことです。これまで絵画について書きましたが、音楽ではどうでしょうか?

音楽はリズム、メロディ、そして無い場合もありますが歌詞、この三つが構成要素であると考えられます(ノイズミュージックのような例外はありますが)。この要素に対して非秩序性を加えたような音楽というのも、当然ながら存在します。

たとえば私の好きな曲に”./全てあなたの所為です。”があります(youtubeに本家の動画あります)。この曲は中毒性の高いメロディと、非論理的な歌詞とが合わさり、夢の中のような、秩序と非秩序の境目のような心地のよさを私は感じます。

ところでこういった、不思議な歌詞の曲に対して歌詞の意味を考える、いわゆる考察をするのが好きな人がいます。もちろんそういった行為は別に不思議なことではないです。不安を解消しようとする心の動きと思えば自然ですし、梶井基次郎の”桜の樹の下には”では、桜の美しさを下に屍体が埋まっているからなのだと述べています。ほとんど無条件に感じるであろう桜の美しさに不条理を感じ、それが見るに堪えないような屍の上に立脚しているのだと、いわば普通の人が行う考察の反対のような思考が名作たる所以なのだと思いますが(桜の樹の下にはは短編でさくっと読めますし青空文庫にあるので読んだことのない人は読んでみるとよいと思います。)、そのように物に理由を考えてしまうのが、ある意味ではヒトらしい行動なのかもしれません。

しかしながら、桜の樹に対して無条件に抱いている美しさという非合理に対しては、多くの人は考察をしません。何故でしょうか?

それは恐らく、その非合理を非合理と受け入れることに慣れているからです。(あるいは非合理に気が付いていないだけかもしれませんが。)そしておそらくは、多くの人は桜の樹の美しさについてもひとしきり考えた後、美しいと思うものは美しいのだと受け入れるのではないでしょうか。

非合理を受け入れる素養はどんな人にもあるのです。皆様も良き非合理ライフを。

アニメと大学日記

文を書いては消し、文を書いては消し…そのうち書く文章がどんどん感傷的になってきたので一転して普通のことについて書くことにしました。お酒を飲むとどうにも感傷的になってだめですね。

 

・夏アニメと秋アニメ

秋アニメがなんか気が付いたら始まってましたね。夏アニメはいい作品が多かったので今期も楽しみです。とはいえ、今期はなんだかんだ”風が強く吹いている”しか継続して見ていないんですけど(私を知ってる人なら驚きそう)。感想を言えるような教養もないですが思ったことを書きたいので書きます。

 

風が強く吹いている

原作が好きすぎるので少し不安もあったのですが今のところかなりいい感じに映像化されています。ところどころある改変も自然で良いですね。原作の走はかなりあっさり篭絡…というか原作の方が素直なので、アニメのツンツンしてて何かを極めし者特有の社会不適合者な感じが出ている走はなんというかリアルだなと思いました。

年始の駅伝に合わせて秋アニメなのかなと思ったらどうやら2クールだそうで。放送半ばにあった方が盛り上がっていいのかな。

 

でまあ、”やがて君になる”見てないの??とか言われそうなんですけど、一話を見てなんか違うなと思ってしまったんですよね。

いや、作画も音楽も声も素晴らしくて丁寧にアニメ化されているなとは思いましたし、多分良い作品になるだろうなとは思ったんですけど、二話以降を見ていないのは多分なんというか原作が好きすぎるせいだと思います。原作の雰囲気というかなんというか自分で言語化できていないのですが、それが好きなので、ちょっと違うなと思ってしまったんだと思います。多分。

 

・大学

必要単位もほぼほぼ取り終わって、今期は楽にしようと研究室配属で使う(可能性がある)ギリギリまで受講科目を絞ったら明らかに楽すぎて笑ってます。前期は午前に7コマで今期は午前に3コマですからね。午後は全部実験なんですけど。

しかもレポートのでる講義が少なくて家に帰るとTOEICと実験レポートしかやることが無いのも暇といえば暇です。暇なのはいいんですけど、何か目標を持っていないと堕落して化学の知識がどんどんボロボロになっていくので何かやろうとは思っています。まずは11月のTOEICが終わったらかな。

大学院には行きたいと思っているのでそうすると来年の夏は院試なわけですが、ネットにある院試の過去問をチラッと見てみると、無機化学とか生物化学はともかく、物理化学と有機化学はヤバいのではないかと思っているので堕落回避を兼ねて化学熱力学・量子化学あたりはやりたいななんてなんとなく思っています。要するにアトキンス。講義自体も量子化学は付け焼刃の知識で乗り切ったものの、物理化学(熱力学)は途中からついて行けなくなり、試験は山を張ったら見事に外し撃沈した科目なのでリベンジしたいですね。卒業・院進するのに学部の内容を分かっていないっていうのもダサいですし。

というわけでなんとなくのモチベーションがあるのですが、目下の問題はTOEICです。これも院試に使うのですが、今までに一回しか受けたことが無く(しかも公開試験じゃない)、自分の実力がどの辺なのかもいまいち分からず、さらには今やってる勉強が効果があるのかも分からず、何点取ればいいのかも分からない。もう何もかもが分かりません。とりあえず取れるだけ取れっていうことですかね。

なんというか、早くこの不毛な不安から逃れたいです。

果たして私は、いつまで情熱を持って生きられるのだろう

みなさん、情熱を持って生きていますか?

 

別に何も、将来○○をやりたい!とかそういう情熱じゃなくてもいいんです。「○○っていうマンガが面白すぎるので完結するまで死ねない!」とか、「どこどこに旅行に行きたい!そのために節約してます!」とか、そんな程度の情熱でいいんです。そんな情熱があなたにはありますか?そして来年のあなたは同じ情熱を抱いたままでいられますか?

私にも大なり小なり情熱があります。たとえば「日常系のマンガを読んでるだけで幸せ。次も読みたい」とか、「化学とかいう学問に理由はよく分からないけど取りつかれてるのでなんとか化学で名を立てて化学で食っていきたい」とかそんな情熱があるにはあるのです。

そんな情熱…あるいは夢というべきか、それは人の人たる原動力に他ならないと私は思うのです。情熱の大部分は本来生きるのに必要のないものです。ただ生物として生き残るのなら旅行に行くことも、マンガやアニメを見ることも、仕事をすることも、(現代社会で生き残るために必要かどうかは別にして)必要ないはずです。

 

そんな情熱をいつか失う日が来るのではないか、それが怖くて怖くてたまらないのです。

 

あなたにもきっと経験があると思います。当時はあんなにハマっていたのに今ではまるで琴線に触れない。そんなものがたいていの人にはひとつやふたつはあるのではないでしょうか。その多くがきっと、何か別の情熱に代替されて自然と失ったものであると思いますが、時には別のものに代替されることなく消えてしまう情熱というものもあるはずです。もしもこの身に宿る情熱が全て移り変わることなく消えてしまったら…そんな未来が来るのではないかと考えるのは決して不自然ではないのではないでしょうか。

いや、情熱が消えることが怖いのももちろんですが、それ以上に今の自分が失われるのが怖いのです。日常系のマンガが好きな自分が失われたとして…いま家の中にあるマンガ300冊余りは一体なんだったのでしょうか?それで得た幸福、歓喜、感嘆…その全てが失われるのが、自らの手で(それも惜しむことなく!)失うのが怖いのです。その全てを忘却の彼方に押しやって、マンガを古本屋に売りに行く、未来に存在しうるかもしれない自分自身に底知れぬ恐怖を感じるのです。

 

「青春とは無意味である」と、(私が勝手に)昔から言います。部活動も、放課後の教室での駄弁りも、極論すれば無意味なものです。大人と子供の境界線で、自由と不自由の狭間で、自分自身の情熱に向かって若い力その全てを擲つ、それこそが青春だと(私が勝手に)言います。その青春を捨て去るその日が来ることが、たまらなく怖いのです。