果たして私は、いつまで情熱を持って生きられるのだろう

みなさん、情熱を持って生きていますか?

 

別に何も、将来○○をやりたい!とかそういう情熱じゃなくてもいいんです。「○○っていうマンガが面白すぎるので完結するまで死ねない!」とか、「どこどこに旅行に行きたい!そのために節約してます!」とか、そんな程度の情熱でいいんです。そんな情熱があなたにはありますか?そして来年のあなたは同じ情熱を抱いたままでいられますか?

私にも大なり小なり情熱があります。たとえば「日常系のマンガを読んでるだけで幸せ。次も読みたい」とか、「化学とかいう学問に理由はよく分からないけど取りつかれてるのでなんとか化学で名を立てて化学で食っていきたい」とかそんな情熱があるにはあるのです。

そんな情熱…あるいは夢というべきか、それは人の人たる原動力に他ならないと私は思うのです。情熱の大部分は本来生きるのに必要のないものです。ただ生物として生き残るのなら旅行に行くことも、マンガやアニメを見ることも、仕事をすることも、(現代社会で生き残るために必要かどうかは別にして)必要ないはずです。

 

そんな情熱をいつか失う日が来るのではないか、それが怖くて怖くてたまらないのです。

 

あなたにもきっと経験があると思います。当時はあんなにハマっていたのに今ではまるで琴線に触れない。そんなものがたいていの人にはひとつやふたつはあるのではないでしょうか。その多くがきっと、何か別の情熱に代替されて自然と失ったものであると思いますが、時には別のものに代替されることなく消えてしまう情熱というものもあるはずです。もしもこの身に宿る情熱が全て移り変わることなく消えてしまったら…そんな未来が来るのではないかと考えるのは決して不自然ではないのではないでしょうか。

いや、情熱が消えることが怖いのももちろんですが、それ以上に今の自分が失われるのが怖いのです。日常系のマンガが好きな自分が失われたとして…いま家の中にあるマンガ300冊余りは一体なんだったのでしょうか?それで得た幸福、歓喜、感嘆…その全てが失われるのが、自らの手で(それも惜しむことなく!)失うのが怖いのです。その全てを忘却の彼方に押しやって、マンガを古本屋に売りに行く、未来に存在しうるかもしれない自分自身に底知れぬ恐怖を感じるのです。

 

「青春とは無意味である」と、(私が勝手に)昔から言います。部活動も、放課後の教室での駄弁りも、極論すれば無意味なものです。大人と子供の境界線で、自由と不自由の狭間で、自分自身の情熱に向かって若い力その全てを擲つ、それこそが青春だと(私が勝手に)言います。その青春を捨て去るその日が来ることが、たまらなく怖いのです。