xxの中

(二次創作、みさここ)

 

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暑い。肌を伝う汗の感覚なんてとっくに消えてしまって、じっとりと張り付くシャツの気持ち悪ささえもすぐに分からなくなった。梅雨を過ぎたばかりの初夏でも、太陽の輝くステージで動き回っていると着ぐるみの中はあっという間にサウナになってしまう。気を確かに持たないと、目まぐるしく移り変わるステージについて行かなくては。前をちらと見ると、このバンドのリーダーの後ろ姿が歌声に合わせて揺れている。その長い髪が、恨めしいほどに燦々と降り注ぐ陽の光を浴びてキラキラと煌めく。夏だ、と思った。

 

「美咲?」

ふいに声をかけられて現実に呼び覚まされた。こころの話を少し聞き流してしまっていたみたいだけれど、かといって考え事をしていた訳でもない。夏バテ、というやつだろうか。

「大丈夫かしら?ボーっとしていたわよ?」

今は弦巻家で今日のライブの反省会と次のライブの打ち合わせ中だ。と言ってもそんなお堅いものではない。その証拠に今ここには私とこころの2人しかいないし、手帳もペンも何も用意していない。柔らかく沈むソファに2人で並んで座って、ただ醒めやらぬ感情をおしゃべりで吐き出す、そんなささやかな会合だ。

「ん、いや、大丈夫。最近暑いからかな?」

そう言うと、こころは少し考え込むように目を逸らした。なんだかその仕草が珍しくて、じっと眺めていると急にこっちを向いてなにか言いたげに口をもごもごと動かし、そして黙ってしまった。こころ?と口を開こうとしたところで、こころの声に遮られる。

「ちゃんと休まなきゃだめよ?元気じゃなきゃ笑顔になれないわ!」

「…うん、そうだね。」

逡巡の後に出てきた言葉が存外普通だったので少し安心した。けれど、これはこころが本当に言いたかったことなんだろうか。顔をじっと見てみたけれど、いつものこころだった。それでも、さっきの仕草は、表情は…。急にニコッと笑いかけられた。しまった、考えながらずっと見つめてしまっていたらしい。慌てて目を逸らす。

「今日のライブも素敵だったわね!みんな笑顔がキラキラしていたわ!」

「そうだね」

もっぱら喋るのはこころの方で、私はほとんど相槌しか打たない。知らない人がみたら無理矢理話に付き合わされている、なんて風に見えるのかもしれないけれど、私はこの会話が好きだ。こころがどう思っているのかは分からないけれど、でも多分嫌だとは思っていないはずだ。

「ねぇ美咲!今度のライブは海でやるのはどうかしら!浮き輪に乗って歌ったり演奏したら素敵だと思わない?」

「やー、浮き輪は…。海の上だと楽器の電源取れないし、それにミッシェルも泳げないんじゃないかな。」

そして、このお嬢様の素敵な夢を聞くのも好きだった。突拍子もなくて荒唐無稽で、私には絶対に思いつけないアイデアを聞くのが好きだ。知らない世界に連れていってくれる…なんて使い古された表現だけれど、こころにぴったりな言葉だと思う。気を抜いていると本当に違う世界に連れて行かれてしまいそうなので、少しずつ軌道修正はしなくてはいけないけれど。

「じゃあ砂浜はどうかしら!砂のお城を建てて、おとぎ話を元にしたライブをするの!」

「砂浜…」

暑そうだ。今日の時点でこんなに暑かったのに、遮る物のない夏の砂浜で着ぐるみは正直に言って、かなり辛いと思う。

「砂浜はほら、ミッシェルが大変じゃないかな?」

「どうして?」

「どうしてって、ミッシェルは暑く…」

そう言いかけて我に返った。こころはミッシェルの中身が自分だってことを知らない。こころの中ではミッシェルはピンクでふわふわでDJのできるクマなのだ。初めの頃はこころが信じないから説明を諦めていたけれど、今はそれ以上に、こころの世界を壊したくなくてこの話題に触れるのを避けていた。それなのに…やはりライブの暑さのせいであまり頭が回っていないらしい。

「いや、ほら、ミッシェルは毛が長いからさ、体温調整とかも難しいんじゃないかなーとか…」

夢中で弁明してふと気づいた。こころが、さっきと同じ顔をしている。あの何か言いたげな顔を。

「ねぇ、美咲」

こころがこちらを向くように、すこし座り直す。肩にかかる髪がするりと下に流れる。

「あの、えーと…なんでしょうか。」

神妙な面持ちをしながら、ゆっくりと身体を近づけてくる。その顔は私の首筋で止まった。

「美咲は、ミッシェルと同じ匂いがするわね」

こころはそう言うと、体重を私に預けて、なんだか寂しそうな顔をしている。気づいてしまったのだろうか。心臓が早鐘を打つ。

「…こころ、ダメだよ」

かろうじて開いた口からこぼれたのは、そんな小さい声だった。なにがダメなんだろう。この関係を壊したくないのは事実だ。でも、それでもこんな関係をずっと続けていける訳がないのは分かっていた。心のどこかでこうなることを望んでいた。それなのに…それなのに”弦巻こころ”がどこかへ行ってしまうのが怖かった。壊したくなかったのはこころの夢だけじゃなく、いやむしろ、それ以上に、あたしがあたしの夢を壊したくなかった。

こころが私の顔を見ている。一体どんな表情をしているんだろう。こころは顔に小さく笑みを浮かべて、それだっていうのに泣きそうな目をして、私の胸に頭を押し付けた。

「だから…だからまだ、もう少しだけ、このままでいさせて」

こころはいつから気づいていたんだろう。今日いまこの瞬間までそんな素振りを見せたことはなかった。いや、今だって、別にはっきりとそう言ったわけではない。むしろ言わなかったのだろう。こころはきっと、自分の世界を、あたしの希望を壊したくなかったのだろう。こころ、こころは本当にみんなを笑顔にするのが上手だよね。それでもみんなは、あたしは、ありのままのこころが一番好きなんだよ。こころは着ぐるみのピエロじゃなくっても、きっとみんなを笑顔にできるよ。

そっと長い髪を撫でて、ただ二人黙っていた。