自己分析

社会生活に向いていない。中学から高校の頃にかけてうっすらと感じてはいたが、大学へと進学して一応成人を迎えてはっきりと分かってきた。私は社会生活に向いていない。

根源的に理想主義者である事が私の全てに影響している。自身の中に絶対の価値観という物差しがあって、それに背くものを殆ど本能的に拒絶してしまう。しかも困難な事に、その物差しというものが酷く曖昧で感覚的で、全く把握出来ない。

当然そんな物差しを持っているので交友が狭い。人間関係を拒絶しているわけでは決して無いし、むしろそれを欲している部分はあるが、自分から動けない。私は今まで「コミュニケーションの活性化エネルギーが高い」などと言っていたが、この理由にも理想主義が関わっていることに思い至った。価値観を傷付けられる事が何より怖い。そのために関わり合いに消極的になるし、自分から話を振れない。価値観の吐露が怖い。

それとは別に言外の感情を察する能力が弱いので、ともすると被害妄想気味になる。自己肯定感が低いので批判の種を自分に探してしまう。自分に対しても理想を求めてしまうので、自己肯定の機会が滅多に無い。自身の価値観を捻じ曲げてまで自己に価値を見出すのは、心臓に杭を突き立てるのと同義だ。

他者に価値観を傷付けられる事を恐れているので、天邪鬼になりがちだ。天邪鬼というのは正しくないのかもしれない、ただ自己の価値観に従っているだけなのかもしれない。

とはいえ自身の価値観を他者に求めることは決してしない。自分に物差しがあるのだから他者にそれがあるのは当然である。

実らない理想主義ほど録でないものは無い。

夢幻の中でしか生きられない。