感想雑記(ひとりぼっちの○○生活5話)

原作で既に読んだシーンでも、映像としてみるとまた違った印象を抱くものでやはり媒体の違いというのは大きいのだなと思ったのでちょっと感想を書きます。

 

・ひとりぼっちの○○生活 ~5話

 

5話は紛れもなくアル回で、大変すばらしい出来だったわけですが、かわいさという点の他にもアルの性格についての掘り下げが為された回でもありました。すなわち、残念な本性とそれを取り繕って”世界の副委員長”として振る舞う外向きの姿です。

ひとりぼっちの○○生活ではぼっち以外の主要メンバーの4人は特に、人間関係において外面と内面の違いを抱えています。不良だと思われているけれど友達想いで素直ななこ、美人で高嶺の花な存在と思われているけれど実は忍者に憧れているラキター、友達を作らない主義だけれど実は友達に憧れている(?)(ややネタバレ)佳子ちゃん、そして文武両道才色兼備な完璧(副)委員長であろうとするけれど本当は残念なアル、そんな各々が抱えている内面をぼっちの前ではさらけ出せるというのが本作のハイパー尊いポイントです。

真の自分をさらけ出せる間柄というのは友達(というより親友?)の本質的な部分で、これはやはり素直で純粋なぼっちだから為せる技で、”友達になる”ということをぼっちなりに考え続けているからこそ真の友達に辿り着いているのでしょう。尊い

 

 

やがて君になる7巻

ちょっとちょっと、そこの方、”やがて君になる7巻”読みました??

読んでない?

でもちょっと抑えきれそうにないのでネタバレしながら語っていいですか?

 

もう一言でいうともう、佐伯沙弥香~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!

って感じです。今巻の主人公は間違いなく沙弥香でした。

 

そして沙弥香と侑の対比がバリッバリに効いてます。

燈子に対して先に一歩踏み込んだ侑、先に踏み込まなかった(込めなかった)沙弥香、

踏み込んで後悔している侑、踏み込んで満足している沙弥香、

あなたが好きな私でずっといられるの?、あなたが好きな私になりたいと思う、

燈子に手を引かれて階段を降りた侑、燈子の手を引いて階段を登った沙弥香、

「『好き』ってなんだったんだろう」、「好きよ燈子」

 

ズルい。関係性オタクなので泣いちゃう。

 

そしてボートの上での会話、「変わりゆくあなたをずっと好きでいられるのか?」、やがて君になるのテーマといっても過言ではないでしょう。好きを知っている沙弥香が好きを知らない燈子に対して、燈子と侑の関係に対してアドバイスをする形になっているのだから残酷です。ただ沙弥香にしかできない役回りではあるわけで、はー………こう落としてくるんだ………と脱帽の限りです。

示された回答である、「あなたは私の好きなあなたでいてくれるだろうっていう  信頼の言葉  かな」はそのまま燈子の侑に対する期待へのアンチテーゼになっていて、すなわち、「侑は私の好きな侑で、”私を好きにならない”侑でいてくれるだろう」という呪いを解く鍵になっているわけです。この呪いは沙弥香の答えと一見矛盾しているようではありますが、実のところこれは侑にかけている呪い以上に、七海燈子自身にかけている呪いであって、「好きとは束縛する言葉」だから、「侑が私を好きにならないでいてくれるから、私は誰にもならなくていい」から、「侑が私を好きになったら、本当の意味での七海燈子にはなれないかもしれないから」好きを拒絶し続けたのですが、沙弥香は変わり行く燈子をそれでも好きだと、いや、信頼しているのだと告げられてやっと、変わりゆくあなたはそれでもあなただという答えに辿り着けたわけです。

正直自分でも何書いてるのか分かんなくなってきましたが、とにかく129pでも述べられている通り「沙弥香じゃなきゃわからなかった」のは間違いないわけで、ある意味では「私だけがあなたの特別でいられた」のです。

ポピパの曲が良すぎる。

久々に本当に暇な時間を持てたので衝動の赴くまま文を書こうと思います。

 

これがね、すごく言いたいんですけど、ポピパの曲が良すぎる!!!!!!!!!んです!!!!!!!

毎朝大学に向かう時に色々と聴いているのですが、もう大体ツボなので私と同じ感性の人ならハマるんじゃないかなと思います。私と同じ感性の人なんているのか分からないけど。

 

そもそもポピパというのはBanG Dream!に登場するPoppin'Partyという五人組のガールズバンドで…というような形式的な説明はwikiなりpixiv大百科なりニコ大なりを各自ググって頂くとして、まずこの5人がキラキラしててまぶしい!知らぬ間に歳をとってしまったのでだんだんこういう青春の結晶を直視すると胸が苦しくなるようになってしまったのですが、まぁもうとにかく輝いてます。そして百合的にも美味しい。最高(さあ行こう)!

そして曲も素晴らしい。そもそもバンドを扱ってる作品なので、曲としてはいわゆるバンドサウンド、それでいてアニソンのテイストもある、もうそれ私の好きなとこ良いとこどりじゃん…という曲たち。最高(さあ行こう)!

メタ的な話をすると、楽曲はあの上松範康さん率いるElements Gardenがプロデュースしていて、もうそれだけで絶対いいじゃん…と思わざるを得ないです。上松さんといったら”ETERNAL BLAZE”とか”マジLOVE1000%/2000%”とか”革命デュアリズム”の作曲ですよ、ヤバ…名曲しかないじゃん…。そしてまた、メインのVocalの戸山香澄さんのCVの愛美さんが歌うっまいの。すごい。いい声してるの。さあ行こう!他の声優さんももちろんとってもいい声してます。個人的には有咲役の伊藤彩沙さんの歌声がハイパー好きです。

 

初めて聴いた曲は”1000回潤んだ空”なんですけど、これがもうほんといい曲なんです。静かにギターとキーボードとボーカルのみからスタートして、はじめのサビ、おもむろにベースとドラムが入ってきて5人揃ってからのサビ終わりにギターがドーン!ですよ、もうエモエモじゃないですか。間奏もいい…。間奏後にいったん静かにワンコーラスサビやってからもっかい盛り上げてサビなのも好き…ベタかもだけどベタなのがすき…。歌詞ラストが”ミュージックのスタート”なのも好き…。一番最後にこの歌詞もってくるの良くないですか???良い………。

 

エモ曲枠だと”八月のif”も好きです。こっちの曲は1000回潤んだ空とは違って曲の構成的にはかなり素直なのですが、もうとにかく曲調と歌詞のエモでぶん殴ってくる恐ろしい曲です。エネルギーに満ち満ちたはずの夏の空気にふと見つける寂寥感というか、そんな空気を感じるいい曲です。夏モチーフで普通そこに行く???すごくない????

 

同じく夏曲で今度はストレートに夏!という曲、"夏のドーン!"もいい曲なんです。どことなくJITTERIN'JINN/Whiteberryの”夏祭り”を彷彿とさせるような夏祭りソングで、かなりガールズバンドっぽい曲というか、素直に盛り上がれる曲です。こういうのもバリバリこなせるポピパ……よい……。

 

夏だけじゃない!冬曲として”クリスマスのうた”もいい曲なんです!ハンドベル(かな)のジングルベルのメロディからはじまって、コーラスが入って、声の重なりきれーとか思ってたらめっちゃくちゃにいいイントロが始まります。最高。これクリスマスに起こった事件を解決してハッピーエンドでエンドロールに行く映画のやつじゃん…!(交渉人真下正義ぐらいしかそんな感じの作品知らないですけど)。もうなんかキリスト教のクリスマスの雰囲気なんか一切合切気にせず盛り上がれる曲なのがいかにも日本のクリスマスって感じで良いですよね。二番サビをまるまるありしゃが歌ってるのも歌詞とあいまってエモがすごいです。クリスマスってこういう愛と平和のイベントでしたよね。

 

そもそもBanG Dream!には「夢を撃ち抜け!」みたいな意味があるように、夢を追いかける人への応援ソング的な楽曲も多々あり、"走り始めたばかりのキミに"なんかもそんな曲のひとつです。ギターはじめ全体的にちょっと重めな音で、それが力強く勇気をくれるようなそんな曲です。青春…。

 

走り始めたばかりのキミにカップリング曲(両A面なので厳密にはCPじゃないのかな)の”ティアドロップス”もまた重めのサウンドの、夢に向かう人の曲です。走り始めたばかりのキミへはどちらかというと純粋に応援する側の曲なのですが、ティアドロップスは夢を追いかける側の、折れてめげてもそれでも諦めないという感じの曲です。雰囲気としてはけいおん!のED曲に近いかも。あれはHTTがプロになったらとして曲を作っているそうなので、ガールズバンドっぽさの残るこの曲とはやっぱりちょっと違うかもしれない。どっちも好きですけど。

 

 BanG Dream!のテーマである青春と音楽を体現しているのが"ときめきエクスペリエンス!"です。なにせ歌詞にそのものずばり「青春と音楽」が出てきますし。サビの「叶え!届け!」「歌え!叫べ!」なんかもう迸る青春のきらめきです。泣いちゃう。エモなCメロからのラスサビ「進め!ポピパ!」がほんとすき。すき。

 

リーダーの戸山香澄さんといえば「キラキラ」がキーワードなのですが、キラキラといえば”キラキラだとか夢だとか~sing girls~”。直球の青春ソングが弱った心に沁みる…。キラキラだとか夢だとか希望だとかドキドキだとかでこの世界はまわり続けているんですよねほんとは。そっか…忘れてた…そんな気持ち…。

 

ここまで色々言っておいて何なんですけど、私実はアニメシリーズの方は見てないんですよね…(見ようとは思っている)。そんなアニメ、1期の集大成(らしい)曲が”前へススメ!”です。AメロBメロをメンバーのソロで繋いでいってサビ、Vo.の香澄ソロがきて、全員で歌う。「わたしは一人じゃないこと」……。もうそれだけで激エモじゃないですか……泣いちゃう………。アニメ見たらもっと感動できるのかな………。すご……。

 

そんな今を全力で駆ける彼女らもいわゆる普通の女の子なわけで、等身大な女子高生としての曲、"ガールズコード"もいい曲なんです………。LINEしたり、プリクラ撮ったり、ドリンクバー頼んで話し込んだり、そんな女子高生らしい歌詞かと思いきや「わたしはもしかしてみんなと出会うためギターを好きになったの?」だとか「急に寂しくってこのまま帰りたくないって」みたいなセンチメンタルな気持ちを出してくるのにドキッとするのがもう…ね?ラストの歌詞が天才的すぎてほんとたまらなく好きです。なんだろうなこの気持ち…。変に言語化しても絶対に表現しきれない気がする。

 

さて、最後に紹介したいのが”What's the POPIPA!?”、バンド紹介ソングで、キャラクターにたいするキャラソンみたいな位置づけの曲です。ファンならニヤッとしてしまうような小ネタが仕込まれてたり、ソロパートを回していったり、とにかくポピパらしい曲なのですが、曲単体としても熱くてほんといい曲なんです。二番サビの「青春とは足掻くものだぜ!そこから這い上がるんだ!」とかかっこ良すぎて泣いちゃう。

 

 

そんな感じで私の特に好きなポピパ曲を紹介したのですがこの他にもほんと名曲揃いで素晴らしいのでよかったらぜひ…。ポピパ以外にもバンドがあってまた違った雰囲気の曲を歌っているのできっと好きな曲があるはず。多分。

進め!ポピパ!明日へ走り抜けて!

桜の樹の下にはコミュ障たちの屍体が埋まっている!

桜の樹の下にはコミュ障たちの屍体が埋まっている!

 

これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。私はあの美しさをただただ無条件に受け入れていた。しかしいま、やっとわかる時が来た。桜の樹の下にはコミュ障の屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 

どうして私が毎春、世の中に数ある道楽の中でよりによってちっぽけな薄っぺらいもの、Twitterなんぞを、苦しそうにやっているのか―おまえはそれがわからないと言ったが―そして私にもやはりそれがわからないのだが―それもこれもやっぱり同じようなことに違いない。

 

いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気の中へ一種神秘な雰囲気をまき散らすものだ。それはよく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それはいまいましくもいみじくも、私の心を打たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。

しかし、ある春のある時、私の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。私にはその美しさがなにか信じられないようなもののような気がした。私は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持ちになった。しかし、私はいまやっとわかった。

おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つコミュ障が埋まっていると想像してみるがいい。何が私をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。

寡黙なもの、人との距離感が上手く掴めないもの、そして人間のようなもの、春にコミュ障はみな腐心して何かと関係を築こうとして、たまらなく疲労している。それで水晶のような涙を心にたらたらと垂らしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくのような食糸のような毛根を集めて、その液体を吸っている。

何があんな花弁を作り、何があんな蕊を作っているのか、私は毛根の吸い上げる水晶のような液が静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。

―おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。私はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。あの春のあの時、私を不安がらせた神秘は昇華されたのだ。

あの春、家を出て、学校の中をひた歩きしていた。光のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも人の群れが生まれてきて、そぞろ歩くのが見えた。お前も知っているとおり、彼らはそこで美しい交遊をするのだ。何とか私も輪へと横入りしながらも過ごしていると、私は変なものに出くわした。それは春の風が乾いた巷へ、小さい水溜を残している、その人の輪の中だった。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、交遊の屍体だったのだ。隙間なく人の心を被っている、私の、彼らの意味を失った交遊が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが外面の墓場だったのだ。

私はそれを見たとき、胸が衝かれるような気がした。自身を取り繕って交遊を嗜むコミュ障の自覚を味わった。

この体裁にはなにも私をよろこばすものはない。LINEもTwitterも、数字を左肩に煙らせて液晶に浮かぶ四角も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。私には孤独が必要なんだ。その平衡があって、はじめて私の心象は明確になってくる。私の心は悪鬼のように交遊に渇いているが、私の心に孤独が完成するときにばかり、私の心は和んでくる。

―おまえは辛い顔をしているね。孤独なのか。それは私も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。愛想とごく僅かの交遊、それで私たちの外面は完成するのだ。

ああ、桜の樹の下には私が埋まっている!

いったいどこから浮かんできた空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまではまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。

今こそ私は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている人たちを眺め、地へと呑まれることができる気がする。

陽光の下の桜の樹の下で、その根に抱かれて眠ることができる気がする。

新年度日記

令和、いいですね。

 

2019年度が始まったわけで、すなわち大学4年に進級してしまったわけです。名古屋に越してきてからもう丸3年、早いものです。ところで2019年度って平成31年度なんですか?令和元年度なんですか?

4月になったので冬アニメが終了して春アニメがスタートしましたね。難民的にはきららが無い!ということで冬以上にひんやりした春になりそうです。〇〇生活があるのでなんとか生きていけるかな…。

 

そしてまた冬アニメで話題になっていたケムリクサを暇な時間で一気見したので、感想を書きたいです。

ネタバレしそうなのでまだ見てない人は、アマゾンプライムで配信してるのですぐに見てきてください。とりあえず11話まで見てください。

 

やっぱり私、ロードムービー好きなんだなぁというのが一番思ったことです。ロードムービーというと有名なものだとスタンド・バイ・ミーだとか、アニメだとローリングガールズですとか、少女終末旅行ですとか、同じたつき監督のけものフレンズ(1期)もロードムービーになるかと思いますが、まあいわゆる旅の途中で起こる様々な出来事を描いた作品です。ある意味では水曜どうでしょうもある意味でロードムービーみたいなものなのかな。ノンフィクションですけど。

けものフレンズやケムリクサが上に挙げた作品のそれ以外とは明確に違うのが、ロードムービーとしての魅力に加えて、伏線回収の妙を兼ね備えていることです。どんどん伏線がばら撒かれていくのですが、そのばら撒き方も回収の仕方も上手い。序盤、舞台設定についてはほとんど知らされないまま物語は進行していきます。ここで視聴者を投げっぱなしにしないために働くのが、その作品世界に突然放り込まれる人物でかばんちゃんやわかばです。これらのキャラクターが自然に質問役になることによって無理なく説明とストーリーの進行が両立されます。こういうノイズの少なさも二作品の魅力だと思います。ストーリーも構図もノイズが少ないのでするっと23分見られるのがすごい。

いやというかあの3Dモデルかわいい。最初はちゃんと語ろうかなと思ってたんですけど上手いこと纏まらないのでもうなんか適当に書こう。

11話EDヤバくないですか?2話あたりで普通にEDが流れた時は影絵だけどネタバレじゃん!と思ったのですがそもそも映像自体が伏線だとは………。

けもフレもそうでしたけど、ストーリーをきっちり組み立ててあると王道中の超王道展開でも激アツになるんですね………

わたてん最終話のもやもや。

※個人の感想です

 

 

わたてん最終話、作画も歌もよかったですね。

…でもちょっと、これだけは言わせてほしいんですけど、

 

カルミア(乃愛)さんが不憫すぎないですか???????

 

ちょっともにょっとした気持ち…じゃないや、もやっとした気持ちがあるので書きながら色々考えてみます。

まず、キャラクター間の関係を知らずに、完全に劇として(観客の立場で)みた場合。

カルミアは妹のデイジー(ひなた)と共に洋菓子店を営むキャラクターとして登場します。店名に「Daisy & Kalmia」とつけるあたり仲の良さが伺えます。では単に仲が良いだけの関係かというと、

デイジーカルミアは好きな人、いる?」

カルミア「あたしは…お店が忙しいの!ほら、手伝って!」

の会話からカルミアからデイジーに対しての姉妹愛以上の感情があると捉えるのは不自然ではないはずです。が、デイジーは天使のアネモネ(花)に恋をします。報われねぇ…。その後、カルミアは物語にほとんど絡むことなく退場します。

デイジーの孫であるマリー(乃愛)はアネモネと出会い、デイジーの愛を受け継いでアネモネと結ばれ共に過ごし、最後には天使の国に召されマリーとアネモネはデイジーと再会するのですがそこにはカルミアの姿はありません。

カルミアがデイジーのことを好きだとした場合、カルミアは、デイジーがいつまた会えるとも分からない最愛の相手を想いながらも他の人と結ばれるのをただ見守ることしか出来なかったわけです。せつねぇ…。

あるいは、先の会話が完全に(我々に対して)ミスリードで、カルミアが恋愛感情を持っていなかったとした場合はそういった報われなさは劇の中においてはなくなるのですが、劇中劇であることを考えるとそれはそれで乃愛がとても不憫になってしまうのです。

次に劇中劇として見てみます。

乃愛はひなたに対して、恋愛感情とは言わないまでも特別な感情を抱いていることは恐らく間違いないはずです。11話で「ひなたちゃんのお姉さんともう2つ、3つも役をやるの!」と発言しているあたり、カルミア役が特に思い入れの深い役であることがうかがえます。乃愛にしてみれば現実のひなたのお姉さん、つまりみやこはひなたの愛情の対象で、なりたかった主役になれなかった乃愛がカルミア役を自慢することもひなたに対する感情を感じます。

そのカルミア役がちょい役あるいは負けヒロイン枠なわけですから、乃愛の不憫さが際立ちます。なんでこんな脚本にしたの先生。っていうか小学生に死別百合さすな。

そこでじゃあ、カルミアが報われるような展開として、アネモネへの恋が叶わぬものだと受け入れたデイジーと、そんなデイジーを慰めるカルミア、二人の間にはいつしか…としてデイジーカルミアの間に出来た子の子がマリーだとすることも出来ますが、それはそれでアネモネの代替として愛されることを受け入れたカルミア、みゃーねえの代替として愛されることを受け入れた乃愛、というふうに境遇が一致し、本当にハッピーエンドなのか…?と思いたくなります。

というふうに、どう解釈しても乃愛あるいはカルミアが報われないような気がしてもやもやします。

最終回として、キャラクター全体にスポットを当ててストーリーとしても一旦手じまいにしなければいけないことは重々承知してはいますが、10話の感じで最終回がよかったんじゃないかなぁ…とも思ってしまいます。同じ劇でももうちょっと乃愛の演じるキャラクターがもっと幸せになってもよかったんじゃないかと…最初にも言った通り作画や歌や演出が良かった分。

個人的には日常系の(あるいは日常系に近い)作品ならあそびあそばせ最終話みたいな、本当に何ともない、「これが最終回!?」みたいな終わり方でも、むしろその方がいいんじゃないかなぁ…とか思ったりしないでもないです。好みは別れそうですけど。

エモいってそんなに悪か?

はじめは”エモい”について本気で色々考えて論評しようと思って文章を書いていたけれど、私に日本語を論評する能力は無いことが分かったので適当に思っていることを書きます。

 

 

”エモ”、感じますよね。この世界は、いや、この世界から生み出される様々な世界はエモみに溢れていますよね。

この感情を他の人に伝えようと思った時に、あなたは「エモい」という言葉を使えますか?

 

私は割とよくエモいを使います。ただし世間のエモいへの風当たりはどうにも決して弱くはないようで、

「自分の言葉で語れよ!!」

とか、

「エモいとかいう凡庸な言葉で表現しても全く伝わらない」

とか知ったような口でエモいを攻撃する人というのも確かに存在するのです。

 

うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!知らね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

いや、知らねぇっていうか知ってはいるんですよ、エモいの範囲が人によって違いすぎて発信者と受信者でズレが生じるからあんまりいい言葉じゃないのは知ってます。

 

ただ、ただ私は感情の咀嚼をしたくないだけなんじゃい!!!!!!!!!!!!!!

 

これです。これが私がエモいを使う理由の大部分です。

エモいっていうのは鳴き声なんですよ。感情の塊に頭をぶん殴られてクラっと来たところで必死に絞り出した声、それが「エモ……」なんですよ。

感情の受容キャパシティをオーバーしてるのに「○話のアレが伏線で~ここの感情の機微が~」みたいに話すのは不自然じゃないですか。別にしばらくたってからこう色々考えて話すのは(私は正直あんまり好きではないけれど)いいんですよ。ただ、私は前の記事でも話した通り、自身を作品となるべく切り離しておきたい難儀な性分なのでなかなかそれが出来ないのです。考察って自分の考えに合わせて世界の方を歪めてる感じが嫌いです。

それに、あんまりネタバレをしたくないという思いもあります。詳しく感想を書くのってどうしてもネタバレしなきゃじゃないですか。それをエモいに留めておくことによって「何かは分からないが感情に訴える何かが起こる」というふわっとしたオススメができるのです。まあエモいシーンがあることはばれてしまうけれどそこまで言ったらなにも言えなくなってしまうので…。(ARuFaさんが言うオモバレというやつですね)

 

世間では”エモい”の曖昧さが嫌われているようですが、私はむしろ”エモい”の曖昧さが好きなのです。捉えどころのないパトスこそがエモーショナルなのです。衝動にまかせてtwitterにエモとつぶやきましょう。

 

 

ところで今期はひなノアがエモいです。