わたてん最終話のもやもや。

※個人の感想です

 

 

わたてん最終話、作画も歌もよかったですね。

…でもちょっと、これだけは言わせてほしいんですけど、

 

カルミア(乃愛)さんが不憫すぎないですか???????

 

ちょっともにょっとした気持ち…じゃないや、もやっとした気持ちがあるので書きながら色々考えてみます。

まず、キャラクター間の関係を知らずに、完全に劇として(観客の立場で)みた場合。

カルミアは妹のデイジー(ひなた)と共に洋菓子店を営むキャラクターとして登場します。店名に「Daisy & Kalmia」とつけるあたり仲の良さが伺えます。では単に仲が良いだけの関係かというと、

デイジーカルミアは好きな人、いる?」

カルミア「あたしは…お店が忙しいの!ほら、手伝って!」

の会話からカルミアからデイジーに対しての姉妹愛以上の感情があると捉えるのは不自然ではないはずです。が、デイジーは天使のアネモネ(花)に恋をします。報われねぇ…。その後、カルミアは物語にほとんど絡むことなく退場します。

デイジーの孫であるマリー(乃愛)はアネモネと出会い、デイジーの愛を受け継いでアネモネと結ばれ共に過ごし、最後には天使の国に召されマリーとアネモネはデイジーと再会するのですがそこにはカルミアの姿はありません。

カルミアがデイジーのことを好きだとした場合、カルミアは、デイジーがいつまた会えるとも分からない最愛の相手を想いながらも他の人と結ばれるのをただ見守ることしか出来なかったわけです。せつねぇ…。

あるいは、先の会話が完全に(我々に対して)ミスリードで、カルミアが恋愛感情を持っていなかったとした場合はそういった報われなさは劇の中においてはなくなるのですが、劇中劇であることを考えるとそれはそれで乃愛がとても不憫になってしまうのです。

次に劇中劇として見てみます。

乃愛はひなたに対して、恋愛感情とは言わないまでも特別な感情を抱いていることは恐らく間違いないはずです。11話で「ひなたちゃんのお姉さんともう2つ、3つも役をやるの!」と発言しているあたり、カルミア役が特に思い入れの深い役であることがうかがえます。乃愛にしてみれば現実のひなたのお姉さん、つまりみやこはひなたの愛情の対象で、なりたかった主役になれなかった乃愛がカルミア役を自慢することもひなたに対する感情を感じます。

そのカルミア役がちょい役あるいは負けヒロイン枠なわけですから、乃愛の不憫さが際立ちます。なんでこんな脚本にしたの先生。っていうか小学生に死別百合さすな。

そこでじゃあ、カルミアが報われるような展開として、アネモネへの恋が叶わぬものだと受け入れたデイジーと、そんなデイジーを慰めるカルミア、二人の間にはいつしか…としてデイジーカルミアの間に出来た子の子がマリーだとすることも出来ますが、それはそれでアネモネの代替として愛されることを受け入れたカルミア、みゃーねえの代替として愛されることを受け入れた乃愛、というふうに境遇が一致し、本当にハッピーエンドなのか…?と思いたくなります。

というふうに、どう解釈しても乃愛あるいはカルミアが報われないような気がしてもやもやします。

最終回として、キャラクター全体にスポットを当ててストーリーとしても一旦手じまいにしなければいけないことは重々承知してはいますが、10話の感じで最終回がよかったんじゃないかなぁ…とも思ってしまいます。同じ劇でももうちょっと乃愛の演じるキャラクターがもっと幸せになってもよかったんじゃないかと…最初にも言った通り作画や歌や演出が良かった分。

個人的には日常系の(あるいは日常系に近い)作品ならあそびあそばせ最終話みたいな、本当に何ともない、「これが最終回!?」みたいな終わり方でも、むしろその方がいいんじゃないかなぁ…とか思ったりしないでもないです。好みは別れそうですけど。

エモいってそんなに悪か?

はじめは”エモい”について本気で色々考えて論評しようと思って文章を書いていたけれど、私に日本語を論評する能力は無いことが分かったので適当に思っていることを書きます。

 

 

”エモ”、感じますよね。この世界は、いや、この世界から生み出される様々な世界はエモみに溢れていますよね。

この感情を他の人に伝えようと思った時に、あなたは「エモい」という言葉を使えますか?

 

私は割とよくエモいを使います。ただし世間のエモいへの風当たりはどうにも決して弱くはないようで、

「自分の言葉で語れよ!!」

とか、

「エモいとかいう凡庸な言葉で表現しても全く伝わらない」

とか知ったような口でエモいを攻撃する人というのも確かに存在するのです。

 

うるせ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!知らね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

いや、知らねぇっていうか知ってはいるんですよ、エモいの範囲が人によって違いすぎて発信者と受信者でズレが生じるからあんまりいい言葉じゃないのは知ってます。

 

ただ、ただ私は感情の咀嚼をしたくないだけなんじゃい!!!!!!!!!!!!!!

 

これです。これが私がエモいを使う理由の大部分です。

エモいっていうのは鳴き声なんですよ。感情の塊に頭をぶん殴られてクラっと来たところで必死に絞り出した声、それが「エモ……」なんですよ。

感情の受容キャパシティをオーバーしてるのに「○話のアレが伏線で~ここの感情の機微が~」みたいに話すのは不自然じゃないですか。別にしばらくたってからこう色々考えて話すのは(私は正直あんまり好きではないけれど)いいんですよ。ただ、私は前の記事でも話した通り、自身を作品となるべく切り離しておきたい難儀な性分なのでなかなかそれが出来ないのです。考察って自分の考えに合わせて世界の方を歪めてる感じが嫌いです。

それに、あんまりネタバレをしたくないという思いもあります。詳しく感想を書くのってどうしてもネタバレしなきゃじゃないですか。それをエモいに留めておくことによって「何かは分からないが感情に訴える何かが起こる」というふわっとしたオススメができるのです。まあエモいシーンがあることはばれてしまうけれどそこまで言ったらなにも言えなくなってしまうので…。(ARuFaさんが言うオモバレというやつですね)

 

世間では”エモい”の曖昧さが嫌われているようですが、私はむしろ”エモい”の曖昧さが好きなのです。捉えどころのないパトスこそがエモーショナルなのです。衝動にまかせてtwitterにエモとつぶやきましょう。

 

 

ところで今期はひなノアがエモいです。

アニメ遍歴

私のアニメ遍歴を書き記しておく。

全話視聴のみ(途中で脱落したのは書かない)

後から視聴したものは・付き

 

2011冬

魔法少女まどかマギカ

 

2011春

日常 (2クール途中から)

 

2011夏

ゆるゆり

 

2011秋

 

2012冬

ミルキィホームズ2期

 

2012春

・咲阿知賀編

 

2012夏

ゆるゆり♪♪

 

2012秋

中二病でも恋がしたい!

てーきゅう

 

2013冬

GJ部

ラブライブ!

ヤマノススメ

 

2013春

あいうら

ゆゆ式

進撃の巨人

 

2013夏

きんいろモザイク

ふたりはミルキィホームズ

てーきゅう2期

帰宅部活動記録

 

2013秋

のんのんびより

てーきゅう3期

てさぐれ!部活もの

キルラキル

 

2014冬

桜Trick

てさぐれ!部活もの あんこーる

咲全国編

生徒会役員共*

中二病でも恋がしたい!戀

 

2014春

ご注文はうさぎですか?

ラブライブ!2期

一週間フレンズ。

 

2014夏

ヤマノススメセカンドシーズン

・普通の女子高生が【ろこどる】やってみた。

 

2014秋

デンキ街の本屋さん

SHIROBAKO

 

2015冬

探偵歌劇ミルキィホームズTD

艦隊これくしょん-艦これ-

ローリング☆ガールズ

 

2015春

てーきゅう4期

高宮なすのです!

ハロー!!きんいろモザイク

響け!ユーフォニアム

てさぐれ!部活もの すぴんおふ

 

2015夏

城下町のダンデライオン

わかば*ガール

のんのんびより りぴーと

がっこうぐらし!

それが声優!

干物妹!うまるちゃん

WORKING!!!

てーきゅう5期

ゆるゆり なちゅやちゅみ+

洲崎西 THE ANIMATION

 

2015秋

ハッカドール THE あにめ~しょん

ゆるゆり さん☆ハイ!

ご注文はうさぎですか??

小森さんは断れない!

てーきゅう6期

 

2016冬

大家さんは思春期!

魔法少女なんてもういいですから。

 

2016春

三者三葉

ハイスクール・フリート

パンでPeace!

うさかめ

 

2016夏

この美術部には問題がある!

ラブライブ!サンシャイン!!

 

2016秋

ガーリッシュナンバー

WWW.WORKING!!

響け!ユーフォニアム

ステラのまほう

魔法少女なんてもういいですから。セカンドシーズン

てーきゅう8期

灼熱の卓球娘

 

2017冬

うらら迷路帖

ガヴリールドロップアウト

けものフレンズ

小林さんちのメイドラゴン

 

2017春

ひなこのーと

 

2017夏

NEWGAME!!

てーきゅう9期

 

2017秋

干物妹!うまるちゃんR

少女終末旅行

 

2018冬

ゆるキャン△

スロウスタート

三ツ星カラーズ

ポプテピピック

宇宙よりも遠い場所

 

2018春

こみっくがーるず

 

2018夏

はるかなレシーブ

あそびあそばせ

ヤマノススメ サードシーズン

 

2018秋

風が強く吹いている

やがて君になる

・となりの吸血鬼さん

 

2019冬

えんどろ~!

私に天使が舞い降りた!

・ケムリクサ

 

2019春

 

はやくそれを買いたい!

あいわなびー!余裕のある生活!

 

CITY 5-7

Roid 1-2

灼熱の卓球娘 7

世界で一番おっぱいが好き! 2-3

ひとりぼっちの○○生活 5

恋する小惑星 2 5/27

ゆるキャン△ 1-8 4/26

こみっくがーるず 1-5 4/25

はるかなレシーブ 3-7 4/11

球詠 2-5

ぼっち・ざ・ろっく! 1

スロウスタート 1-6

魔法少女のカレイなる余生 2-3

先パイがお呼びです! 1

ステラのまほう 6-7

まちカドまぞく 2-4

NEW GAME! 4-8

きらきら☆スタディー 3

きんいろモザイク 2,5,9

Aチャンネル 7-8

夢見るプリマ・ガール! 2

こはる日和。 2-3

すくりぞ! 2

桜Trick 5-8

城下町のダンデライオン 4

そよ風テイクオフ 2

 

化学と私。

隙あらば自分語りなんて言われるほどネットに跳梁跋扈する自分語りですが、その例にもれず私も自分語りをしようと思います。暇で隙だらけなので。

というのは建前(本音)で、つい先日研究室が決まって数年来目指していた有機化学の研究室に配属となったので語りたくなっただけです。数年来目指していたっていうのもなんとなく言いすぎだけれど。

幼少期から語っていたら長くなったので適当に読み飛ばしてください。

 

昔から図鑑とか博物館の類は好きで、小学校低学年の頃の愛読書は間違いなく家にあった昆虫か魚の図鑑でした。博物館や水族館の類も好きで、親も色々と連れて行ってくれたのでこんな人間に成長したのだと思います。もし子供ができたら連れて行きたいですね。そんなことあるんでしょうか。

とはいえ、当時から理系科目が好きかというとそういう訳でもなかったと思います。小学生の頃はむしろ歴史とかの方が好きだったので、漠然と文系かなぁぐらいに思っていました。それか当時はゲームが好きだったので、ゲームクリエイターになりたいと漠然と思っていました。懐かしい。

ごく普通の公立中学に進学し、そこで待ち受けていたのはとある社会科教師でした。初めのうちは無難に授業をうけていたものの、ノートの出来栄えが成績に反映されたり、肘をついて授業を聴いていたのを注意されることで段々反抗心が芽生えてきたのでクッソ適当なノートを提出し、肘をついて話半分に授業を聴き、担当の社会のテストで学年トップを取り通知表で5を取るという、なんとも中学生らしいかわいげのある反抗を行いました。今にして思えば完全に社会科教師の手のひらで踊らされている感じがしますし、たしか一度も満点は取れなかったので完全に負けています。ただ、あの時の反抗心は確かなもので社会科に関する熱は完全に薄れてしまったのです。

また一方で中学生の私は数学にハマっていました。それなりに勉強してそこそこの点数はとっていたものの、当時の私にはケアレスミス以外でどうしても解けない問題があったのです。テストの最後の問題です。

これはちょっと解説しないと分からないと思うので解説します。私の出身の埼玉県では、県内の中学生対象に北辰テストという模試のようなものが行われています。これは別に学校で強制で受けるとかそういうものではないのですが、県内の中学生で高校に進学希望ならまず間違いなくほぼ100%受けます。なぜかというと、この北辰テストの結果を私立高校の学校説明会に持っていくと、自分の偏差値が学校の基準を超えている場合、合格が確約される、つまり絶対に滑らないすべり止めができる(学校によっては授業料免除なんかも確約される)という県外の人に話すと絶対に驚かれ羨ましがられるトンデモテストだからです。実施元はかなり儲けているに違いないですが、受験生からすると私立高校の受験チャンスが年に5回ぐらいあるみたいなものの上に、私立高校の対策の必要がなくなり公立高校に集中できますし(埼玉県は一部の私立高校を除いて基本的に公立高校至上主義です)、中学教師としても受験者ほぼ全員が受けている模試があるのでアドバイスしやすいですし、私立高校としても受験生の質を確保しやすいのでwin-win-winです。この方式をとる限り私立高校<公立高校の図式が崩れにくいのが欠点ですが…。

完全に脱線したので話を戻すと、この北辰テストの数学のテストの最後の一問は通称”百点防止問題”と呼ばれ、難易度が他の問題に比べ数段高いのです。学校の定期テストもこれを意識してか、最後の一問をかなり難しめにしていました。適当に勉強していた当時の私には解けるはずもなく、まあしゃあないでしょぐらいの開き直りの精神でいたのですが、これを解くようなやつもいたのです。地頭がよい上に塾に通っているやつです。当然ライバル心が芽生え、とはいえさきほど社会科のくだりで話したような性格なので塾に通うことは無く(親に負担をかけるのが嫌だったこともあった)、”高校への数学”なんかを買ってやっていたりしました。大学への数学の方が知っている人が多いと思いますが、それの高校受験版です。完全にオーバーワークです。結果的にその人には勝てなかったものの、その過程で数学はかなり好きになりました。あの人高校は浦和高校に行ったけど今なにしてるんだろ。

そしてまた、化学との出会いがあったのも中学時代でした。中1か中2当時の私はニコニコ動画にハマっており(今も見ているけれど)、とりわけ”人類には早すぎる動画”が好きでした。前衛的な動画やシュールな動画によく付けられるタグで、これらの動画をまとめた「人類には早すぎるランキング」という動画があります。忘れもしない、人類には早すぎるランキング~16thシーズン~のED、「ベンゼンアクエリオン を 替え歌ってみた」、これが私が科学を、化学を、有機化学を志したきっかけです。

 

 

 高校化学で習う有機化学、とりわけ芳香族化合物に関してを創聖のアクエリオン一万年と二千年前から愛してるやつ)の替え歌で歌っているのですが、まずこれが替え歌のクオリティが高いのと声がかわいい上に歌が上手いのでハマり、聴いているうちにだんだんと「有機化合物、なんか良くない?」と思い始めます。とはいえなんとなくwikipediaを見たりしていたものの、当時の私には本腰を入れて有機化学を学ぼうという思いは無く、というかその方法が思い浮かばなかったので、なんとなくただ化学が好きなだけでした。

こうして数学と理科に目覚めた私は高校受験で県内最高峰の理数科…ではなく自宅から一番近い理数科を選びます。さすがに頭が足りなかった。とはいえ結果的にこれが正解で、高校ですばらしい先生と出会ったので人生どう転ぶか分からないものです。

化学に興味があった私は(中学時代の卓球部で運動部に嫌気がさしたというのもあり)、部活動見学で化学部に行きました。一人だと心細かったので友人を道連れにして。「化学部?」と怪訝な顔をされたものの化学部へと引きずっていきなんだかんだで共に入部し最終的に友人の進路に大きく影響を与えた(と思われる)ので、なんというか、心細さから人の人生をめちゃめちゃに捻じ曲げた気がしないでもないですが多分悪くはなってない…よね?(多分)

化学部の顧問の先生というのが恐らく学校一の変わり者というか、ものすごい熱意の持ち主で、分かりやすく教えるためには高校範囲を逸脱して大学の内容にも踏み込むという素晴らしい理念をお持ちだったのです。当然ながら化学部にもその風潮があって、(部に予算がほとんどないこともあって)実験をして発表をするのではなく、自主ゼミ的に高校化学の範囲を(当然大学の範囲も触りつつ)数か月で一周し化学グランプリという国際化学オリンピックの日本予選に挑戦する、という科学系の部活としてはかなり異色な活動内容でした。大学の教科書にも手を出し、アトキンスだったりシュライバーだったりを読んだりもしたり。そして私もまたやりたかった化学に触れるとあってはりきって勉強し、化学って楽しいよね!一緒に楽しもうよ!状態となったのです。(全部ゴッ倒す!!)

そしてまた有機化学への熱意を支えたのは有機化学美術館という超有名サイトです。このサイトで高校範囲外の有機分子に触れ、愛を深めたのです。私が言うまでもなくやっぱり名サイト。

途中生物に浮気しつつ(高3の時の日本生物学オリンピックの二次予選が化学グランプリの二次予選と日程被ってて行けなかったの絶対忘れないからな)も、高3の化学グランプリで二次予選出場を果たし、赴いたのが名古屋大学です。そこで聴いたスピーチがあの話の上手い某教授のスピーチです。そりゃ心掴まれるわけですよ。いや本当の所は化学グランプリの前には京大志望だったのを無理だと悟って名大志望に落としていたので、某教授のスピーチがきっかけというわけではないですが、少なくとも志望を変えさせないだけの魔力はありました。

化学グランプリでは何故か金賞を頂き、それをひっさげて推薦入試に出願したらありがたいことに合格して名大理学部へと入学し、一般教養で熱意を失いかけながらも化学科へと進学し、そして今なんとか有機化学の研究室(某教授の研究室ではないですが)へと配属されることができました。

 

まさかニコニコ動画の替え歌動画がきっかけで化学を志し、埼玉から名古屋へと移るなんて中学の頃の自分は夢にも思っていなかったでしょう。ほんとに人生というのはどうなるか分からないものです。4月からの研究室生活もどうなるか分からないですが、中学の自分と同じく化学を楽しんでいきたいなと、そう思った次第です。自分語り終わり!

空気になりたい、いや、空気すら烏滸がましい

まだ頭が休まらないので思いつくままに文章を綴りたいと思います。

作品の布教の話を書いた後にこんな話をするのもなんなんですけど、私って別に人と作品を語り合いたいわけではないんですよね。先のブログに書いた通り自分の感情を具体化できない(したくない)せいで語るのがクッソ下手なのもそうなんですが、作品を作品として切り離された一つの世界として浮かべておきたいという思いが強いというか…。

 

私は登場人物に感情移入するという行為がどうしても苦手というか、できないというか、むしろ嫌いですらあります。いや、別に何の感情も抱かないとかそういうわけではなく、キャラクターの感情を読み取ることは(おそらく)出来るしそんな風に読んでいるのですが、あくまでそのキャラクターはそのキャラクターで、自分ではないという思いが強いんです。自分にどれだけ近いキャラクターだろうが、自分ではないし、同一視なんて死んでも出来ません。こういう思考なので俗にいう”泣ける”というのも苦手で、どんなに泣きのストーリーだとしても感動こそすれ、泣いたことは無いです。これも主張はしておきたいですけど、決して無感情なわけではなくて自分自身に対する不幸なら普通に泣きます。よく遊んでもらっていた親戚が亡くなったとか。

特に私の好きな百合だとか日常系の作品に対してはそういう思いが強く、完全に自分の意識の介入を遮断しようとしながら見ています。できることなら他の意識をすべてシャットアウトして直に情報だけをインプットしたいくらいです。もしかしたら感情移入が嫌いなせいで(おかげで)こういう作品が好きになったのかもしれませんが…卵が先か鶏が先かの話じゃないですが、どっちなのかは永遠に分からないでしょうけれど。

日常系の作品を観ているときには、その作品世界に開けた窓から世界を覗き見ているような…いや、そんな自分の存在を仮定するのも死ぬほど嫌なんですけど、あくまでイメージとして、そういう風なスタンスで作品を鑑賞しているのです。あくまでその世界とは独立した…しかしながら観測者としての自身の存在も否定したいので…となるともはや言葉で表現することは絶対に出来ないとは思われるのですが。よくいう”空気になりたい”とか”壁になりたい”というのも烏滸がましいとすら感じるので、本当になんというか、観測すること自体おかしいのでほんとは観たくないんですけど、とはいえ観たいので………。

とそんな拗らせまくった自分のスタンスはひとまず置いておくとして、そこに他の人の感想を差しはさむとその人のイメージが差しはさまれることになってしまうのです。他人の感想を受け取ったのはほかでもない自身ですから、他人のイメージを想起するというのは自身のイメージを想起することに他ならないのです。他者を通して間接的に自身の存在を感じてしまうのです。いやむしろ自分の感想ですらちょっと嫌です。とにかくその世界にあらざるものを持ち込むことを強烈に拒絶しているのです。実のところどんな感想でもダメかというとそういうわけでもなく、自分から遠いほど平気になります。ニコニコ動画なんかのコメントが平気なのはこういう理由で、匿名のコメントは自身との干渉の全くない概念体という感じで別に普通に見ることができます。むしろ、自身もその集団に入り込むことで自身の存在すら概念の集合体へと意識の上では変化させることができるので好都合なわけです。人の少ない田舎で生きていくにはどうしても自己の主張というものが自ずと必要になりますが、都会の雑踏に暮らすには自己を捨て去っても、いや、捨て去った方が好都合でありさえします。twitterだけで繋がりのある匿名のアカウントのコメントなんかもまだ割と平気です。ただ、頻繁にリプライで会話をするような間柄だとだめで、フォローはしてるけれど絡みはない、みたいな関係に限られてしまいますが。顔見知りとかリアルな知り合いだと完全にダメで、”○○っていいよね”ぐらいのフワッとした感想なら良いのですが”このシーンが…”とか”このキャラが…”みたいな会話になるともうだめです。強烈に耳を塞ぎたくなります。

自分でもなかなか難儀な性格をしているのは自覚していて、割とそれで困ったりすることもあります。例えば自分が作中に出てくるコンテンツがもう本当にダメです。分かりやすい(かな)のがアイドルマスターシリーズで、知らない人のために解説すると、自分がプロデューサーとなってアイドルをトップアイドルへと導く…というのがアイドルマスターなのですが、この文章をここまで読んでくれている方ならわかると思いますが(そんな人いるのかな)、私がこんなの出来るわけないじゃないですか!!!アイドルマスターのシャイニーカラーズというシリーズがあって、これも同じようなストーリーのゲームなのですが、数時間プレイして違和感に耐え切れなくなって止めました。ちょこ先輩放置しちゃってごめん。アイドルマスターのシリーズは本当にキャラクターが魅力的で、大好きではあるのですが、本体のゲームだけはどうしても無理なのが悲しいのです。そのせいで二次創作と、”プロデューサー”の絡まない公式の上澄みのみをさらうことのできないこの性格が憎い…。加えて言うならアイマスにはいわゆる推しキャラに対して自分を”○○担当(P)”という文化があるのですが、当然これにも強烈に違和感を感じてしまうのでプロフィールなんかは天地がひっくり返っても書けません。

というより、推しという意識すらも苦手です。誰かを推すという行為は内在的に自己の存在を確定してしまうので、自己を否定する限り推すという行為は不可能なのです。なので何推しかと言われると全推しとしかいいようがないというか、言うなればその世界推しというか。

 

こんなこと書いてると私に作品の話振っちゃだめみたいな風に思うかもしれないですけど、決してそんなことはないので…!!おすすめの日常系とか百合をぜひ教えてください…!ただ、ほんとできればでいいんですけど、あんまりキャラクターの好みとかこの場面がいいとかそういうのは言わないで頂けるとありがたいです………!!(わがまま)

ものをお勧めするという行為

弊学の某のおかげで胃がキリキリしてなんとなく何かをしていないと落ち着かないので文章を書きます。胃が痛むのは空腹でコーヒーを飲んだからな気もするけれど。

 

何かものを人に勧めることに対する苦手意識が抜けないんです。そもそも自分の感情というものを言語化できない、というかむしろ感情を具体化するのを意識的に避けているというのもあるんですが、その他にも自分のお勧めを否定されるのが怖いんですよね。それに人のお勧めを理解できないのも怖いです。

自身の感性を否定されるのが怖いという訳ではないです。感性が人それぞれだというのは流石に理解しているつもりなので、別にハマらなかろうが「あなたには合わなかったんだね…ちょっと残念だけど仕方ないね」で納得できるんです。それよりも、私がそれを勧めたことによってあなたが時間を無駄にした(のではないか)ということが怖いのです。受け手側からすると、作品にハマらなかった時って”この作品・ジャンルには適性がないことが分かった”(肯定的)と”ツマらん作品を見て時間を無駄にした”(否定的)の二通りの感想があるわけですけど、当然ながらどっちなのかなんて言わないわけじゃないですか。特に後者みたいな友情崩壊の呪文なんてよっぽどじゃない限り言わないわけです。時間をドブに投げ捨てることがネタとして昇華されるようなよっぽどなB級映画なんかを観たときじゃないと。話を戻して、肯定的な意見だったにしろ、好きでもないものを見る時間を過ごさせてしまうことにとてつもない申し訳なさを感じてしまうわけです。

逆に自分が人のお勧めを理解できなかった時は、感性を否定しているように取られてしまったのではないかと不安になるのです。自分にそんな意図は全くないと自信をもっていえるのですが、それで「いや、あなたの感性を否定したい訳では断じてなくて…」みたいな語り口で否定するのもおかしいですよね?事実なのに口に出すとどうにも嘘っぽくなってしまうのです。単純に人の好きなものを否定するということだけでも心苦しいのに。

 

結局の所、この心苦しさというのはたぶん他人に干渉していることから起こっているのだと思うのです。自分の感情にさえ責任を持てないのに他人の意思にまで責任を持てるかってもんですよ。なので私は何かを勧めたいときに「○○はいいよ」とは言わずに「○○がすき」とだけ言うように心がけています。”好き”ならば自分の感情を述べているだけだし、それを見て触れてみようとするのはその人の自由意思になるわけです。要するにステマです。作品名だしてるしダイマか。でもな~~~~~~~~~~~~好きな作品に出会ったときってテンションあがって「各位は買おうね」みたいに言っちゃうんですよね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~布教自体押しつけがましさの塊みたいなもんだししょうがないよね~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~